2024.11.18
ブログ
SGR鴨川から臨む東山三十六峰
「東山三十六峰、草木も眠る丑満時、たちまち
起こる剣劇の響き、、、」。これは,無声映画の時代に、映画の進行に合わせて語る、臨場感
あふれる活動弁士の名セリフです。活劇の名優
坂東妻三郎の登場と共に一世を風靡しました。
こんにちは、今回の担当は、今津です。
東山三十六峰とは
「東山三十六峰」(ひがしやまさんじゅうろっぽう)
は、京都の盆地の東側。北は比叡山から南は稲荷山
まで、南北12キロの連なる山々の総称です。
は、京都の盆地の東側。北は比叡山から南は稲荷山
まで、南北12キロの連なる山々の総称です。
御所の東北(鬼門)を守る比叡山には、多くの僧侶
が学び、そこで修行して、鎌倉仏教と言われる多く
の宗派とその宗祖を生みました。
この東山三十六峰には、いまもその痕跡といえる寺
院、神社が連なって、今も霊山としての姿を伝えて
います。
私は入社以来、鴨川のほとりにたたずむ
SGR鴨川に出勤しています。
鴨川の西側にある縦の木屋町通は、春になると
御池から五条まで、約2キロメートルにわたり、
桜の回廊が続き、特に、四条通りの南側では、
高瀬川沿いに、夕方になると、ぼんぼりの電灯
が灯り、一段と風情があります。
SGR鴨川は、その木屋町通を四条通リの、
一本南にある団栗(どんぐり)通から南の、
ちょうど道が「くの字」に曲がる辺りにある。
今回は、4階建ての屋上からの景色を、ご案内
いたします。
比叡山から如意が岳(大文字山)を臨む
- 比叡山方面を臨む
- ①東華菜館②レストラン菊水③四条大橋④鴨東ビル⑤南座右上方に大文字山
現在も「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)
は、天台宗の回峰行の1つで、30キロを6時間で
巡拝するという。平安時代の満行者の相応和尚が、
草履のまま御所に参内し、女御の病を治した由縁
から、今も満行者の阿闍梨(あじゃり)には、
御所の土足参内が許される。
は、天台宗の回峰行の1つで、30キロを6時間で
巡拝するという。平安時代の満行者の相応和尚が、
草履のまま御所に参内し、女御の病を治した由縁
から、今も満行者の阿闍梨(あじゃり)には、
御所の土足参内が許される。
その後も、平安後期には、法然が比叡山から華頂山
で庵を結び、後年の親鸞は、六角堂で百日間参籠し
て、夢告により法然を訪ね、本願念仏の教えに導か
れた。
で庵を結び、後年の親鸞は、六角堂で百日間参籠し
て、夢告により法然を訪ね、本願念仏の教えに導か
れた。
大文字山から華頂山を臨む
- 大文字山(如意が岳)から東大谷山を臨む
- ⑥知恩院⑦旧弥栄会館と帝国ホテル建設のクレーン⑧東大谷墓所
京都の夏の夜空を焦がす「大文字の送り火」。
大文字山と呼ばれる如意が岳は、SGR鴨川から
臨むと、少し左手のため、「大」は「K」文字に
見えます。屋上で西の端まで行くと「大」に。
その右手の山の中腹に見える大きな屋根が、
知恩院さんの御影堂です。また、正面の山には、
大きなコンクリートのような山肌が見えます。
東大谷さんの祖廟と墓所で、お彼岸の季節には、
参拝者が灯した提灯の光が山肌を彩ります。
臨むと、少し左手のため、「大」は「K」文字に
見えます。屋上で西の端まで行くと「大」に。
その右手の山の中腹に見える大きな屋根が、
知恩院さんの御影堂です。また、正面の山には、
大きなコンクリートのような山肌が見えます。
東大谷さんの祖廟と墓所で、お彼岸の季節には、
参拝者が灯した提灯の光が山肌を彩ります。
華頂山から清水寺、稲荷山を臨む
- 華頂山から清水山を臨む
- 遥か稲荷山を臨む。手前に松原橋(旧五条大橋)、その奥に現五条大橋。
- ⑨霊山観音⑩建仁寺⑪BanyanTreeHigashiyamaKyoto⑫建仁寺⑬八坂の塔(法観寺)⑭清水寺⑮建設中の宮川町歌舞練場
正面から右手にかけて眼を移すと、正面の山すそ
に、白い観音様が見えます。霊山観音(りょうぜ
んかんのん)さんです。この近くに「霊山歴史館」
があり、幕末の志士の第一級の資料が整備されて
います。
に、白い観音様が見えます。霊山観音(りょうぜ
んかんのん)さんです。この近くに「霊山歴史館」
があり、幕末の志士の第一級の資料が整備されて
います。
観音様の手前に見える大きな屋根の一部は、建仁寺
さんの伽藍の一部です。また、観音さんの右手に
見える横に長い建物はBanyan Tree Higashiyama
Kyotoというホテルです。
その右手は、また建仁寺さんの法堂の屋根。
その上に五重塔が見えます。八坂の塔です。
その右手の山の中腹に見える赤色の塔が清水寺
です。鴨川にかかる手前の端は松原橋。
豊臣秀吉が大仏殿の参詣の為に作った現在の
五条大橋が出来るまでは、ここが五条橋でした。
この道をまっすくに行くと、清水寺があります。
「弁慶と牛若丸出会いの五条橋」はこの橋です。
昔も今も「東山三十六峰」は京都観光の中心です。
秀吉が作った、京都と伏見城や伏見の港を結ぶ街道
の大和大路は、江戸時代に入って、京都の土産物店
が軒を並べるまでに繁栄しました。
街道沿いには、稲荷山の麓の伏見稲荷大社から、
慧日山東福寺、泉山の泉涌寺、阿弥陀ヶ峰は、創建
当時は七層の伽藍を誇った豊国神社がありました、
その後の方広寺大仏殿、清水寺、八坂神社、
知恩院、青蓮院門跡が並びます。
旧跡名勝地の数珠繋ぎといっていいですね。
朝一番に、SGR鴨川の屋上の昇り、その眺めから、
本日の観光の戦略を練るというのはどうでしょう?