立志社京都の暮らしを感じる町家
立志社
京都の暮らしを感じる町家


News

2024.07.29

ブログ

京都の7月はコンチキチン

こんにちは~。立志社の今津です。
今回は、私も参加することになって21年目を迎えた「祇園祭」について、
観光ガイドには載らない視点から、ちょっとご案内をしたいと思います。

日本三大祭りの一つ「祇園祭」は、7月1日の「吉符入り」(きっぷいり)に始まり、
7月29日の「神事済奉告祭」、同31日の「疫神社夏越祭」(えきじんじゃなごしのまつり)、
に至る7月一カ月間を通して行われる、京都市東山区にある、八坂神社主宰のお祭りです。

その起源は、貞観11年(869年)、京の都をはじめ日本各地で疫病が流行した際に、
天皇の命を受け、平安京誕生以来、雨ごいや厄払いを催行した、神聖な水を有する「神泉苑」に、
疫病を鎮める疫神を祀る(まつる)「祇園社」(八坂神社の明治以前の名称)からお神輿を出し、
当時の日本の国の総数と同じ66本の矛(ほこ)を立てて、疫病を祓った(はらった)こと、
とされています。

お神輿は、英語でPortable Shrine.。神様が乗っているから、お神輿を出す=神様にお出ましいただく。

平安時代では、疫病を引き起こすのは、非業の死を遂げた霊、「御霊」(ごりょう)の仕業だと考えました。
それで、各地で御霊を慰撫する(いぶする)「御霊会」(ごりょうえ)が開催されることに。
「祇園祭」も、これに端を発する祭礼で、「祇園御霊会」と呼ばれていました。そう考えると、
現代のように、医療や科学が発達していなかった時代の、「祇園祭」は国家事業としての疫病対策だったんですね。

今年は、この年から数えて、1155年目を迎えたお祭りです。

山鉾巡行の開始を宣言する「長刀鉾(なぎなたほこ)の注連縄切り(しめなわきり)」

7月1日八坂神社本殿にて、宮本組組員の吉符入りのご祈祷。   (撮影:安田格カメラマン)
7月1日八坂神社本殿にて、宮本組組員の吉符入りのご祈祷。   (撮影:安田格カメラマン)
八坂神社の一室を借りて、宮本組の神宝奉持のくじ取り。さて、今年はどこのお神輿を先導して、どんなお宝を持つことになるのか。(撮影:安田)
八坂神社の一室を借りて、宮本組の神宝奉持のくじ取り。さて、今年はどこのお神輿を先導して、どんなお宝を持つことになるのか。(撮影:安田)

7月1日は、八坂神社の宮本組の吉符入りの日です。
この日に集まって、今年のお役をくじ引きで決します。
「宮本組」は、お宮の地元の組織で、祇園祭の斎行(さいこう)をあれこれと支えています。
主に、祇園で商売をしている旦那衆(商店のオーナーまたは代表者など)です。

以前は、信心のある人だけでやればいい、ということでしたが、
高齢化と組員の成りて不足が発生し、宮本組の先代の時代より、
祇園商店街の30代40代の店主及び主人に代わる者に声をかけ、
人数を増やして、3基のお神輿にそれぞれ配置できるまでに。
 
私も、主人の代わりに商店街の集まりに出ていた時に、
急に宮本組の役員に呼ばれて、その前に立たされました。

そこで、「祇園にビルまで建てて、商売しているのに、
神亊(かみさんごと)していないのはどうか」と言われて、
主人に相談の上入ることになりました。以来、21年です。
 
 宮本組の主なや役割は、7月17日の神幸祭と24日の還幸祭にて、
神社のお宝を持ってお神輿を先導する神宝奉持列をすることと、
7月10日と28日に開催される神輿洗(みこしあらい)の主宰です。

吉符入りの時は、この神宝奉持列で、何処のお神輿に就くのか、
どんな神宝を持つかを、くじ引きで決めることになります。
私は、今年は「東御座」の矛(ほこ)でした。

神輿洗(みこしあらい)は宮本組主宰の神事で、八坂神社から四条大橋を2往復します。(撮影:安田格カメラマン)
神輿洗(みこしあらい)は宮本組主宰の神事で、八坂神社から四条大橋を2往復します。(撮影:安田格カメラマン)
南座前まで進んだ一行。(撮影:安田)
南座前まで進んだ一行。(撮影:安田)
四条大橋の上で神事が行われます。奉幣(ほうへい)の付いた榊(さかき)で、この朝汲み上げた「神用水」(しんようすい)をお神輿さんに振りかける。この時、お子さんを持つ親は、水がかかるように、お子さんを神輿の方に差し出す。(撮影:安田)
四条大橋の上で神事が行われます。奉幣(ほうへい)の付いた榊(さかき)で、この朝汲み上げた「神用水」(しんようすい)をお神輿さんに振りかける。この時、お子さんを持つ親は、水がかかるように、お子さんを神輿の方に差し出す。(撮影:安田)
八坂神社と四条大橋を2往復する神輿洗。1往復目は、松明(たいまつ)だけが往復する「道調べの儀」。神さんが乗るお神輿が通る前に、松明で道を清める、という。(撮影:安田)
八坂神社と四条大橋を2往復する神輿洗。1往復目は、松明(たいまつ)だけが往復する「道調べの儀」。神さんが乗るお神輿が通る前に、松明で道を清める、という。(撮影:安田)
宮本組が先導して、後ろから飾りを外したお神輿さんが続く。(撮影:安田)
宮本組が先導して、後ろから飾りを外したお神輿さんが続く。(撮影:安田)
お神輿さんを先導する松明。竹の燃えカスも、信心のある方は、家に持ち帰って神棚に上げる。(撮影:安田)
お神輿さんを先導する松明。竹の燃えカスも、信心のある方は、家に持ち帰って神棚に上げる。(撮影:安田)

夕方から、松明で清めた道に、、飾りのついていない神輿が静々と八坂神社から出てきます。
お神輿は、四条大橋までくると、この日の朝に、宮本組組員が清掃した後、午前中に鴨川から
「神用水」として汲み上げた水を、奉幣(ほうへい)をつけた榊(さかき)で掬い(すくい)上げて、
神輿にかけるのです。
 
この水を汲む四条大橋から南の鴨川を「宮川」といいます。
この日の鴨川には、八百万の神々が集まってきていると考えられており、
汲み上げられた水を、神輿にかけることで、この神々も一緒に神輿に乗り移り、
八坂神社に入ると、22の摂社末社のそれぞれの社(やしろ)にお入りになられる、
と考えられています。
 
水をかけるときに、お子さんに水がかかるように、多くの親御さんが、
お子さんを神輿の方に差し出す光景が見られます。これは、水かががることで、
こうした八百万の神々のご神徳をいただきたい、というところですね。
 
神々が乗り移ったせいか、神輿の掛け声も、重くなった神輿に、「ホイット、ホイット」
というかけ声から、気合を入れるためか、「よいやしゃっじゃ」(よっこらしょという意味かな?)
に変わります。「よいやさ、よいやさ、よいやさ、よいやさ。よいやしゃじゃ」

17日の前祭の巡行を終えて、新町通りを自分の鉾町の会所に向かう「函谷鉾」(かんこほこ)。(撮影:安田)
17日の前祭の巡行を終えて、新町通りを自分の鉾町の会所に向かう「函谷鉾」(かんこほこ)。(撮影:安田)
2022年の後祭に、196年ぶりに本格復帰した「鷹山」(たかやま)。    (撮影:安田)
2022年の後祭に、196年ぶりに本格復帰した「鷹山」(たかやま)。    (撮影:安田)
山鉾巡行のハイライトの「辻回し」(つじまわし)。進行方向を90度変更するために、2回3回と車輪の下に竹を敷き、水を打って滑り易くしてから方向転換をする。    (撮影:安田)
山鉾巡行のハイライトの「辻回し」(つじまわし)。進行方向を90度変更するために、2回3回と車輪の下に竹を敷き、水を打って滑り易くしてから方向転換をする。    (撮影:安田)

7月17日は「前祭」(さきまつり)で、9基の鉾と14基の山が巡行します。
7月24日は、「後祭」(あとまつり)で1基の鉾と10基の山が巡行をします。
 
悪霊となった御霊は、上から来るとされ、鉾は、鉾を貫く真木(しんぎ)の先に、
キラキラと光る矛(ほこ)をつけて、出来るだけ高くなるように作られました。
山は、真松(しんまつ)を乗せ、その町内独自の趣向に合わせて作られています。
 
山鉾には、前は「前掛」、左右は「胴掛」後ろは「見送り」といわれる豪華な掛物
である「懸装品」(けんしょうひん)で、山も鉾も美しく飾られます。
 
悪霊といっても、元は人間です。こうしたキラキラや豪華な懸装品で飾られ、
「動く美術館」と称される山鉾は、その魅力で悪霊をひきつけてしまいます。
山鉾は巡行を終えて、自分の町内の会所に到着すると、直ちに解体されます。
これは、悪霊の散逸を防ぐためと、こうすることで弱い悪霊は祓われてしまうから。
 
山鉾の皆さんの朝は早く、朝5時に町内を出て、出発地点に向い、
7月1日に京都市議会会場でくじ引きで決定した順番になるよう、
9時までに整列して、出発の順番を待ちます。
 
鉾町の中で一番東にある「長刀鉾」(なぎなたほこ)は、目指す御旅所に近いので、
「あやかれや 長刀鉾の くじ取らず」と歌われるほど、毎回巡行の一番を務めます。

平安時代の後半から、荘園領主としての貴族や寺社を、
本所とする同業者組合の「座」が誕生し、座役を納め、
または、奉仕をすることで、座の構成員である「座衆」となりました。

この座衆に、
「供御人」(くごにん)(朝廷や天皇と座を結ぶ)。
「寄人」(よりうど)(公家や寺社の神事や雑役を担う)。
「神人」(じにん)(神社と座を結ぶ)。
の身分を与え、領内の独占的な営業権を認めたり、保護するようになります。

祇園社(八坂神社)の氏子地域は、北は三条通、西は大宮通。、南は松原通で、
東は、現在も八坂神社のある東大路(東山通)周辺と広大な地域です。
京都市の地図を広げると、商業地域の中心地がほとんど含まれているのがわかります。

「綿座」、「絹座」のほか、「呉服」、「魚」、「柑橘」、「木材」など
日常の衣食住と深い関係にある商品を中心に、「座」が結成されていきました。
こうしたたくさんの「座」が、祇園社に課役を納めることにより、
京都市民への販売権を獲得していたんですね。

こうした状況は、織田信長の「楽市楽座」の時代まで続きました。

ある時、お店(たな)を持つ「本座神人」と、店を持たずに、振り売りをする「新座神人」
の争いが発生しました。最近まで、薬局やドラッグストアが近接地域に開業できなかったように、
それまで自分のお店のある地域で、商売をしてきた「本座神人」のテリトリー(地域)を犯して、
「新座神人」が振り売りの営業をされるのを訴えたのでした。
振り売りというのは、当時の新しい商売の仕方で、
神主はこれを認め、本座神人も、同様に
振り売りをすればいい、という裁定を下したのでした。

これに喜んだ新座神人は、より商売を大きくし、お店を持てるようになり、本座神人に。
祇園社に恩返しをするには、お祭りを盛大にし、より賑々しくすることだと考えました。
爾来、より大きな鉾を作って、より魅力的な懸装品(けんそうひん)で飾り、お祭りを
賑々しくしていきました。これが現在にも残る山鉾の原型となっていきました。
戦国時代を迎える頃には、構成比が、本座神人4,新座新人1となったそうです。

 

前祭では、鉾町を出た山鉾が、四条通を四条河原町まで進み、
ここで90度の辻回しをして、御池通りまで北進。
河原町御池にて、再び辻回しをして、新道通りまで進み、
そこから各鉾町に分かれて帰ります。
 
長刀鉾を先頭に、稚児(ちご)による注連縄切りで巡行のスタートをして、
「動く美術館」と称される豪華絢爛な鉾と山。コンチキチンのお囃子に乗せて、
見どころの「辻回し」や、くぎを使用しないで、縄で縛っただけの大きな鉾が、
ギイギイと音を立てながら進む様子はまさに圧巻です。
こうして、 祇園祭のハイライトといってもいい光景が続きます。

お昼に、「前祭」の山鉾巡行で祓い清められた道に、
この日の夕方、八坂神社から三基のお神輿が出て参ります。
神事である、「神幸祭」の始まりです。

それぞれ、
「中御座」(なかござ。ご祭神:素戔嗚尊・すさのおのみこと)、
「東御座」(ひがしござ。ご祭神:櫛名田姫命・くしなだひめのみこと・素戔嗚尊の奥様)、
「西御座」(にしござ。ご祭神:八柱御子神・やはしらのみこがみ・その子等)
と別々のご祭神(素戔嗚尊のご一家の神様)をお乗せして、
三基三様のコースを辿って、氏子地域を御旅所まで進みます。
 

「神幸祭」と「還幸祭」の先頭を行くのは、宮本組が持つ「勅板」です。少し前まで、当時の円融天皇が、疫病が流行ると開催し、落ち着くとやらなかったお祭りを、やったりやらなかったりするのではなく、毎年開催せよ、との勅命を書いたものを使っていました。      (撮影:安田)
「神幸祭」と「還幸祭」の先頭を行くのは、宮本組が持つ「勅板」です。少し前まで、当時の円融天皇が、疫病が流行ると開催し、落ち着くとやらなかったお祭りを、やったりやらなかったりするのではなく、毎年開催せよ、との勅命を書いたものを使っていました。      (撮影:安田)
宮本組は、神さんの乗るお神輿を先導しています。宮本組のすぐ後ろには、活気よく神輿を舁く(かく)、賑々しいお神輿が続きます。写真は「東御座」の四若(しわか)の神輿会。      (撮影:安田)
宮本組は、神さんの乗るお神輿を先導しています。宮本組のすぐ後ろには、活気よく神輿を舁く(かく)、賑々しいお神輿が続きます。写真は「東御座」の四若(しわか)の神輿会。      (撮影:安田)
今年は、50年ぶりに弓矢町の町内も祇園祭に参加されました。来年は、神輿の行列を警護したという「武者行列」も復活するそうです。(撮影:安田)
今年は、50年ぶりに弓矢町の町内も祇園祭に参加されました。来年は、神輿の行列を警護したという「武者行列」も復活するそうです。(撮影:安田)
今年は、「東御座」の先頭で矛というご神宝を持つ。
今年は、「東御座」の先頭で矛というご神宝を持つ。
遠目から宮本組の行列を見たところ。朱傘の高さがそろっていると綺麗に見えますね。(撮影:安田)
遠目から宮本組の行列を見たところ。朱傘の高さがそろっていると綺麗に見えますね。(撮影:安田)
三条大橋を過ぎて、河原町通に出るところ。
三条大橋を過ぎて、河原町通に出るところ。

神社の祭祀祭礼には、その神社ならではの様式があります。
お祀りをする時に、その構成が少しずつ違っているのです。
まだ、大和政権が誕生する前には、「我こそは正当な天皇なり」
という人が9人いた時代があったそうです。
 
その覇権を争って戦争となります。
日本では、まず戦闘の前に、大将が出て来て名乗り、
この戦いの大義名分を宣べるのがしきたりでした。
そこで、自らの証を立てるために、相互に自分の神社での祭祀を確認します。
この時、内容と構成が同じであれば、同じ出自を持つ一族とわかり、
互いに健闘を誓って、戦闘はしないで、別れたのだそうです。
ただ、違うと、互いに「自らを、天皇をいうのは正当性がないことだ」
と宣言して、戦いとなりました。
 
宮本組の神宝の内容と構成を、見る人が見ると、
「ああこれは、正当な天皇さんが命じたお祭り」、
つまり「勅祭」だとわかるそうです。
宮本組は、勅祭であることを示しながら、
お神輿(神さん)を先導しているんですね。。

八坂神社は、古来、ご祭神に「素戔嗚尊」をはじめとする、
日本の神話の神々と、異国の疫神である牛頭天王(ごずてんのう)や、
龍神などの神々や薬師如来などの仏様を習合して、より強い神様として崇敬されています。
疫病は、異国からも来るので、異国の神を習合することにも理解があったようです。
八坂神社という名は、明治以降のもので、古くは都に流行する疫病や天変地異を鎮め護る、
祈りの精舎「祇園感神院」(ぎおんかんしんいん)として信仰され、
祇園社、祇園さんの名で親しまれてきました。
 
山鉾巡行は、神輿渡御のための露払いという役割を担っています。
 
四条御旅所まで来て、鴨川の河原に穢れを捨ててくるという意味から、
御旅所まで行って拝礼するまでは神事で、そこから先は自分の町内へ戻る帰り道。
お囃子(おはやし)も、「戻り囃子」となり、曲調もリズミカルなものに変わります。
 
山鉾巡行後に、荒ぶる神である素戔嗚尊が通り、本格的に町を祓い清めていく.
17日「神幸祭」は、八坂神社から神様が洛中にわたる日。
24日「還幸祭」は、洛中から八坂神社に神様が戻る日となる。

17日から24日までは、御旅所に神様がお泊りになっているので、
この間「宮本組」組員が、交代で「青龍神水御旅所奉納」として、
朝6時から御旅所と八坂神社を往復して、お水を八坂神社から運び、
毎朝のお供えのお水を、新しくしています。

「宮本組」が「神宝奉持列」で運んだお宝も飾られる。
「宮本組」が「神宝奉持列」で運んだお宝も飾られる。
7月18日から24日まで、毎朝6時に集合し、前の日のお水を、撒きながら八坂神社に行き、神社で新しい水を汲んだものを御旅所に運び、3基のお神輿のご祭神に、水をささげる「青龍神水御旅所奉納」を宮本組有志が、交代で行っています。(撮影:澤木政輝)
7月18日から24日まで、毎朝6時に集合し、前の日のお水を、撒きながら八坂神社に行き、神社で新しい水を汲んだものを御旅所に運び、3基のお神輿のご祭神に、水をささげる「青龍神水御旅所奉納」を宮本組有志が、交代で行っています。(撮影:澤木政輝)
17日の「神幸祭」の斎行により、3基のお神輿が御旅所に奉安される。左から「西御座」、「中御座」、「東御座」。(撮影:澤木政輝)
17日の「神幸祭」の斎行により、3基のお神輿が御旅所に奉安される。左から「西御座」、「中御座」、「東御座」。(撮影:澤木政輝)
三条大宮と三条堀川の間にある「又旅社」(またたびしゃ)。神泉苑にほど近い、ここに三基のお神輿が次々に参拝し、帰路に就く。
三条大宮と三条堀川の間にある「又旅社」(またたびしゃ)。神泉苑にほど近い、ここに三基のお神輿が次々に参拝し、帰路に就く。
今年の「還幸祭」で、知り合いの方に撮っていただく。         (撮影:高田啓史)
今年の「還幸祭」で、知り合いの方に撮っていただく。         (撮影:高田啓史)

後祭の山鉾は、新町通から御池通に入ったところから東へ。
烏丸御池交差点をスタートして、先祭とは逆に、河原町通、
四条通を西へ向かい、自分の鉾町に帰ります。
2022年に、196年ぶりに復帰した「鷹山」(たかやま)の後を、
10年前の2014年に復帰して、くじ取らずで、しんがり(最後尾)
を務める、「大船鉾」(おおふなほこ)が続きます。
 
「還幸祭」、では、四条御旅所を出発し、再び三基三様のコースを辿り、
三条大宮から三条通を寺町、四条通を経由し、八坂神社を目指します。

「神幸祭」に比べて、約倍の道のりとなりますが、八坂神社に戻るため、
足取りも軽い感じがします。こうして、夕方から出た神輿が、午後10時
から11時にかけて八坂神社に次々に帰ってきます。
 
フィナーレは、それぞれのお神輿に乗った御魂(みたま)を本殿に戻す、
「御魂移し」(みたまうつし)です。氏子地域をくまなく祓い清めた神様の
ご帰還といったところでしょうか。

28日の神輿洗の番外編という感じで、宮本組組員の多くが参加する。(撮影:安田)
28日の神輿洗の番外編という感じで、宮本組組員の多くが参加する。(撮影:安田)
おなじみの町中を、面白い提灯の行列が通り、道行く人が、その出会いを楽しんでくださっています。(撮影:安田)
おなじみの町中を、面白い提灯の行列が通り、道行く人が、その出会いを楽しんでくださっています。(撮影:安田)
御祝い提灯の行列が、祇園町を練り歩きます。(撮影:安田)
御祝い提灯の行列が、祇園町を練り歩きます。(撮影:安田)
芸舞妓さんと一緒にそぞろ歩く様子。こんな機会はなかなかないですね。(撮影:安田)
芸舞妓さんと一緒にそぞろ歩く様子。こんな機会はなかなかないですね。(撮影:安田)
お店独自のテーマに添った楽しい提灯が大集合。見て、どこのお店のものか当てるのも面白いですね。(撮影:安田)
お店独自のテーマに添った楽しい提灯が大集合。見て、どこのお店のものか当てるのも面白いですね。(撮影:安田)
店頭に貼られた協賛札。下のほうに、江戸時代の風習として記録があるユーモラスな絵がついています。
店頭に貼られた協賛札。下のほうに、江戸時代の風習として記録があるユーモラスな絵がついています。

28日の神輿洗の際に、八坂神社と四条大橋の間にある花見小路の、
四条通りの東側で、可愛らしい提灯の一団が、宮本組とお神輿さん、
それを舁く(かく)四若神輿会を迎えてくれます。

この一団は、28日の神輿洗の後で、祇園の地域を「お祝い提灯」を掲げて
練り歩き、八坂神社から祇園祭の一環として認められた「御祝提灯講社」
(おいわいちょうちんこうしゃ)です。
この行列は、平成29年から復活し、今年は51個の提灯が町を寿ぎ(ことほぎ)ます。

祇園のそれぞれの商店が、その商材や名前の由来にかけて、
独自の提灯を作り、練り歩いて、祇園祭の余韻を楽しみます。

祇園という花街で、宮本組はその商店主(旦那衆)の集まりだけに、
多くの組員も、この「お祝い提灯講社」にも参加しています。
提灯と一緒に、芸舞妓さんも歩く姿は、祇園らしい
新たな魅力、楽しみとなっていますね。

1か月続いた祇園祭も、29日の「神事済奉告祭」にて、宮本組の神事も終了。

通常、6月末に行われる「夏越の祓い」ですが、氏子地域を回り、皆さんからの
応援や歓迎を受けて、その信心により、ますますご神威が強力になった神様の、
「疫神社夏越祭」が7月31日に開催されます。祇園祭は、ここで終了です。

祇園祭には、いろいろな楽しみ方があります。
厄除け、災難除けの粽(ちまき)を玄関に飾る京都の風習とか、宵山(よいやま)
での男女の出会いから、山鉾のそれぞれの由来、そこに表現された世界観や、
サイドストーリーを知ること、各山鉾には、コンチキチンという独自のお囃子の
レパートリーが30以上もあることなど、知れば知るほど、より一層お祭りを、
楽しむことができますね。

是非、皆さんも自分なりの、祇園祭の楽しみ方を見つけに、京都に来てくださいね。

今回は、長々と失礼いたしました。

Monthly Archive

一覧ページへ


Page Top